愛着のある名前を捨てたのは、私が一度死んだからだとお考えください。
頭にずっと浮かんでいた空想を、行動として現実にしようとしていたのです。
12月13日。気がつくと私は、住んでいる町から百キロはゆうに離れた町へ来ていました。断片的な記憶はあるものの、どうして自分がそこにいるのか一瞬理解出来なかったのです。
私が書いたらしい小説と、ほとんど同じ行動を私は取っていました。その小説も、私の頭の中に浮かんでいた光景や想像、心情であったことは確かです。けれどそれを文章にしていた記憶はありません。
本当に何も覚えていないのです、ここ数日のこともぼんやりとしか覚えていません。
それを嘘だと否定されることは、「思い出さないようにしてるだけだ」とあしらわれることは、私にとって苦痛以外の何者でもありませんでした。
私の痛みや苦しみを仮病扱いされることは、しょうがないことだと頭では分かっています。しょうがないと言っています、諦めています。
けれど感情はそうじゃないのです。
「頑張ってるんだから認めてほしい」違うんです。頑張っていて、もうこれ以上は力を出すことは出来ない、そういうことを私は訴えているのです。
私だって頑張りたい。頑張れない自分が悔しい。健康的に眠りたいしおいしくものを食べたいし、「無駄に元気だね」と言われるほどに活動的になりたいし、何より幸せに笑いたいのです。
それが出来ない自分はやはり異常なのでしょうか。なんだかもう考えたり感じたりすることに疲れました。